屋形では
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 ママ、あたし舞妓になる!
近、舞妓がメディアに登場する回数が増え、多感な乙女達の好奇心をくすぐっている様です。
あたし、舞妓になる! 等と宣言された親御さん達は、全くもってたまったものではありません。
巷の親御さん達の花街へのイメージは凄まじいものがありますから、猛烈に反対する事になりがちです。
乙女達は舞妓の綺麗なところしか見えていませんし、親御さん達は花街には悪印象しかありません。
ですから、両者の会話はいつまで経っても平行線です。
 
この手の問題については、女親は割と大らかに構えられるものですが、男親ともなるとそうはいかない場合が多い様です。
父娘の両者はふて腐れたりして、そのうち顔さえ合わさなくなりがちで、娘の相談相手はもっぱら母親になります。

こうなってしまったら、父は母からの情報だけを頼りに、ドキドキしながら成り行きを見守るしかありません。
 
   
 屋形との面接
ンターネットの力は偉大です。知りたいと思う大抵の情報が手に入ります。
舞妓志願の乙女は、とうとう屋形との舞妓になる為の面接にまでこぎつける事に成功しました。但し、面接は保護者同伴が原則です。
しかし、父は相変わらずふて腐れたままで、舞妓の「ま」の字も聞きたくありません。
とうとう最後まで父親の同意を得られないまま、母親と一緒に面接の為に上洛します。

肝心の面接は、母子ともにすっかり舞い上がってしまったまま終了し、後は運命を天にまかせて結果を待つだけとなりました。

数日後、屋形からの合否の電話が鳴りますが、間の悪い事に父親がその電話をとってしまいます。
家族は、父がいつキレて電話を叩き切るのかをハラハラしながら見守りますが、父は予想に反して淡々と話を聞き、最後に電話に向かって深々とお辞儀をしながらこう言うのでした。

どうぞ娘を宜しくお願いします。

子供の幸せを願わない親はいません。
しかし、どんなに反対しても本人がその道を選ぶと言うのであれば、もう親としてはたとえ世界中を敵に回したとしても全力で応援してやるしかないのかも知れません。
 

 仕込み体験
接に合格したからといって、本当に舞妓としての適性があるのかはわかりません。
実際、仕込み生活を始めてからやっと理解できる大変さもあり、その辛さに途中で帰ってしまう子も少なくないのです。
そこで、短期間、見習いとして屋形で生活させてみて、本当にその子に適性ややる気があるのかを確認させる訳です。
いわゆる最終面接みたいなものでしょうか。

乙女にも夏休みを利用しての仕込み体験がスタートしました。
お姉さん舞妓のお世話から、掃除、洗濯といった家事、近所へのおつかいなどの雑用をこなす毎日です。
普段、家では、家事はおろか礼儀作法などを教えてもらったことのない場合が殆どでしょうから、ハタキをかけては叱られ、畳のふちを踏んでは怒られで、日々が過ぎるにつれて精神的にも辛くなっていきます。

ここで舞妓としての適性が無いと判断されれば、早々に帰されてしまいますが、乙女は何とか最後までやり抜く事ができた様です。
 

 年季
も知らない少女が舞妓としてデビューするまでには莫大なお金がかかります。
屋形はそれを負担する代わりに、年季(ねん)と呼ばれる奉公期間を定めて、その投資金額を回収します。
年季の期間は屋形によって違いますし、その妓の頑張り次第によっても違う様です。

乙女は中学の卒業を待って、春から仕込みとしての生活を始める事ができました。
これからは、○○(屋形の名前)さんところの仕込みさんと呼ばれ、今まで慣れ親しんだ本当の苗字で呼ばれる事はありません。
そして、舞妓になる為の本格的な舞のお稽古が始まります。
祇園甲部の舞は井上流と決まっていますから、毎日、井上流のお師匠さんのところへ通います。
お弟子さんの中には一般の人もいますが、その人達と芸・舞妓になる仕込みとの稽古の質は全くの別物です。
仕込みには一般の人の何倍もの出来が要求されますから、かなり、かなり厳しいものになります。

午前中はお稽古、お稽古から帰ったら屋形の用事、夕方からお姉さん舞妓の仕度、深夜はお座敷から帰ったお姉さん舞妓のお世話と、仕込みの一日は目まぐるしいスピードで過ぎていきます。
 

 同期の桜
は都をどりの季節です。
芸・舞妓はその前の練習期間からも含めると、約2ヶ月間、殆ど休み無しで緊張した時間を過ごします。

仕込みもそんなお姉さん芸・舞妓の雑用に大忙しで、叱られる事も多く、気分も滅入ってナーバスになりがちですが、そのかわりに良い出会いもあります。
都をどりの楽屋には、殆どの屋形の仕込みが集まるからです。
普段は舞のお稽古場でしか会うことの無い仕込み同士ですが、同じ境遇を過ごすお互いは、何かで吸い寄せられる様に集まり、誰からともなく悩みを喋り始めたりします。

都をどりの期間は、仕込みにとっても辛く厳しいものですが、こうして桜の頃に仲良くなった同期達は、何でも相談しあえる生涯かけがえのない親友になるのです。
 

 嫌なおとめ
おとめ」と言っても「乙女」の事ではありません。
おとめとは舞のお師匠さんから稽古のさし止めをくらう事です。
ひらたく言えば、「もうお稽古に来るな!」とお師匠さんから言われる訳です。
これをくらうのは、仕込みにとっては死活問題の一大事です。
何故なら、舞妓の仕事は舞を舞うことですから、お稽古ができなければ舞は上達しません、上達しなければ舞妓には絶対になれないのです。
勿論、無意味におとめを食らう事はありません。練習をサボって上達しない等の何らかの理由がくらう側にはあるはずです。
大抵は、屋形のおかあさん(女将)と一緒にお師匠さんのところに謝りに行って、何とかお稽古の再開を許してもらいます。

舞妓としてデビューする為には、ある一定以上の舞の出来が必要ですから、そのレベルにどれだけ早く到達できるかが見世出しの時期を左右します。
通常の仕込み期間は1年程度ですが、もっと長くかかる妓もいる様です。
 

 見世出し
女にも、やっと見世出しの日がやってきます。
母親は勿論、あれだけ反対した父親までもが仕事を休んで駆けつけてくれました。
乙女はとうとう今日、念願の舞妓になるのです。

乙女は、自分の鏡台の前に座り仕度を始めます。
鬢付け油を手のひらで伸ばして顔に薄く塗っていきます。白粉は慣れないうちはうまく塗れませんから、大切な今日ばかりはお姉さん舞妓に手伝ってもらい、衿足には晴れやかな三本衿を引きます。
そして、下唇だけに紅をさしました。
今日の為に新調された黒紋付に袖を通し、だらりの帯を締めれば立派な舞妓が完成します。

屋形の一室でお姉さん芸・舞妓達と杯を交わし姉妹となったら、いよいよ祇園町へのお見世出しです。
乙女は、昔観た舞妓誕生のTV番組のワンシーンを思い出します。
ウチもやっとここまで来れた。やっと舞妓になる夢が叶った。
屋形の玄関の戸を開けると、待ち構えていた人達から歓声があがりました。
おめでとうさん、これからもおきばりやす。

これまで舞妓になる事だけを夢見てきた乙女は、ここでやっと念願のゴールを果たした訳では無く、単に芸・舞妓としてのスタート地点に立っただけだったのだと気づくのです。
 

 健康第一
んなに強い意思があろうとも、自分の気持ちだけでは舞妓にはなれません。
色々な適性が言われていますが、大前提になるのが「健康である事」です。
舞妓は思った以上に重労働なのです。
公休日は月に2日だけ、そのお休みも頼まれれば出なくてはなりません。
お座敷は深夜にまで及ぶ場合もありますから、毎日何年間もその様な生活を頑張れる体力が必要です。
都をどりの時期などは、早朝から仕度、午後はをどり、夜はお座敷と休む暇もありません。
先ずは健康でなければ務まらないのです。

中にはせっかく頑張って舞妓になったのに、健康上の理由から志半ばで花街を去らなければならない妓もいます。
とても残念な事なのですが、こればかりは仕方の無い話です。
 

 その涙の意味
妓になる事をひたすら夢見て頑張ってきた乙女は、いざ念願の舞妓になってみると目標を失ってしまいます。
ゴールだと思っていた地点が、実は芸・舞妓としての単なるスタート地点にすぎず、そこからは果てしなく続く長い道程が待っていたのですから困惑するのも仕方ありません。
とはいえ、舞妓としての日々は忙しく、与えられた毎日を一生懸命に頑張るだけで精一杯です。
そして、先の見えないモヤモヤとした不安だけを抱えながら、何年もの月日だけが経っていったのです。

乙女は、いつもの様に馴染みのお茶屋でのお座敷を努めた後、お茶屋の女将とお喋りを始めました。
日頃から何かと乙女を気使っている女将が、他愛もない会話の中で何気に問います。
「あんたはん、この先どうしはるん?」

気心の知れた良き理解者の質問は、乙女の緊張を一瞬にして崩してしまいます。
「ウチ、どうしてええのか、わからしまへん」
そう言って黙ってしまった乙女の頬を、一筋の涙がスっと伝いました。

その涙の意味は乙女にしかわかりません。
 

 自前芸妓
い年季が明けると、やっと自前として独立が許されます。
その頃には、大抵の舞妓は衿替えも済んで、立派な若手芸妓として忙しい日々を送っています。
慣れ親しんだ屋形を出てマンション等で一人暮らしをスタートさせる訳ですが、これまでに苦楽を共にしてきた部屋とお別れするのは嬉しくもあり寂しくもあり、複雑な心境になってしまいます。
次にこの部屋で、自分と同じ様に新生活をスタートさせるであろう未来の妹へのバトンタッチです。

屋形で生活しているうちは、生活の事は勿論、花街で必要な全ての事を屋形が代行してくれましたが、独立して自前になると、それら全てを自分でこなしていかなければなりません。
そのかわり、自分で頑張って稼いだお花は自分の物になります。
とはいえ、マンションの家賃、食費に着物に帯、お稽古代や日々の交際費など等、出ていく金額も少なくはありません。
をどりの会があれば切符も売らなければなりませんし、お礼やら何やらと気を揉む事は山の様にあるのです。

自前芸妓と聞くと、何だか悠々自適で好き勝手に暮らしているイメージがありますが、実は結構大変なのです。
 

 屋形のおかあさん
後に、屋形のおかあさん(女将)のお話をしましょう。
屋形のおかあさんは舞妓にとっては怖い存在の様です。
舞妓からしてみれば、口煩く叱るばかりで褒めてもらった事なんか無いし、自由に遊ばせてくれないし、もっと良い着物が着たいし、それからそれから、等と巷の子供と同じ様な愚痴を言いたくなるのでしょう。

何だか良いとこ無しのおかあさんの様ですが、口煩く叱るのもその舞妓の為を思っての事、決まり事の多い花街で恥ずかしくない振る舞いが出来る様に、皆から可愛がってもらえる様にとの親心なのです。
事実、自分がお姉さん芸妓になったら、口煩いおかあさんと同じ事を妹舞妓に言ってきかせていたりしますから、後から考えればその教えはちゃんと自分の為になっているのです。

これまでこの花街で不自由無く生活してこれたのも、屋形の名前があったからこそ、自分の後ろにおかあさんの保護があったからなのです。
屋形のおかあさんは、舞妓の知らないところで花街の色々な雑用をこなしてくれていたり、便宜を取り計らってくれていたりする縁の下の力持ち。
でもそれは、舞妓が自前になって屋形を出てから、初めて気づく母のありがたさなのかもしれません。
 

 おいおい、何か忘れちゃいませんか?
? ところで、その後の乙女はどうなったのかって?

今でも現役の芸妓として日々を精進している様です。
一時期は目標を失って気持ちが不安定な時期もあったり、舞妓時代には何処かへお嫁に行ってしまおうかと悩んだ事もあったそうです。
一緒に頑張ろうと誓い合った同期が花街を去ってしまい、不安になった事もあります。
でも、そんな辛い事がある度に、花街の色々な人達に支えられて、これまで頑張ってこれました。
今では次の目標も見つかって、充実した生活を送っていますので、どうぞ皆様ご心配なく。

花街は一つの家族の様なもの、皆で支え合い、助け合ってこれまでも、そしてこれからも続いていくのです。
 
   
 
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