お客として
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 一見さんお断り
都の悪口で一番最初に出てくるのが、この「一見(いちげん)さんお断り」ではないでしょうか。初めてのお客は受け入れないというシステムです。
今、祇園で純粋に一見が入れない店は、お茶屋と一部の料理屋ぐらいではないでしょうか。祇園にひしめくお店の数からすれば、それは数%にも満たないと思われます。しかし、その%の中に花街があります。

どうして、こんなシステムがまかり通っているのか不思議な人も多いでしょう。
色々な方が、それを解説しておられます。よく聞く理由としては、「支払いはツケが原則なので、身元 のわからない一見さんだとトラブルの元になる」とか、「好みのわからない一見さんだと、もてなしのし様がない」とか、「秘守性が求められる場所に、身元不 明の人は入れられない」といったところが有力説です。
勿論、それらも理由の一つでしょうが、私は「馴染みのお客さんに、気持ち良く過ごしてもらう為」だと思っています。
酒場は、雰囲気が大切です。そこに通う人は、その雰囲気が気に入ってそこにいる訳です。
そこへ雰囲気の異なるお客が入ると、もう、酒場としてはだいなしです。馴染みのお客さんによっては、足が遠のいてしまう場合もあるでしょう。

得体の知れない一見を断って、馴染みのお客に店の雰囲気を保証しているシステム、それが、一見さんお断りなのです。


 
 お茶屋へGO!
街と関わる方法には色々あります。一番簡単なのが、お客として関わる場合ではないでしょうか。その場合、花街との接点がお茶屋(おちゃや)になります。
タイトルでは「お茶屋へGO!」などと気安く書いていますが、そんなに簡単に行ける訳ではありません。
そこには、一見さんお断りという、大きな壁が立ちはだかっているからです。

一見さんお断りのシステムで疑問に感じている人が多いと思います。「誰だって最初は一見のはず。それでは、今のお客はどうやって入れたの?」という疑問です。
実は、一見でも馴染みのお客と同伴ならば入れてもらえるのです。その代り、一見の人がそこで起こす不具合は、その責任の全てを同伴した馴染み客が負わなければなりません。
そうやって何度か通ううちに、「この人なら店を大事にしてくれる」と女将に認めてもらって、はじめて一人で通える様になるのです。

このお茶屋という場所は不思議なところです。通常の商取引ではお金を払う人が偉いものですが、ここで一番偉いのはお客ではなく女将です。
女将が威張ってるという意味ではありません。女将は常にお客が心地よく過ごせる様、気を配ってくれています。
ですから、お客が道を踏み外しそうになると、「○○するのは止めなさい。あなたには似合いませんよ」と注意を促してくれるのです。
お客の方も、女将が自分の事を気遣ってくれている事を十分知っていますから、「ん、そしたら止めとく」と素直に従います。
まるで、親が子供を叱る様ですね。これは、女将とお客との間に、商売以上の信頼関係が築かれているからこそできる事です。

その信頼関係がある以上、女将はお客を身内と思って接しているのではないでしょうか。だからこそ、お客はそこを居心地良く感じるのです。


 
 浮気者は嫌われる
女の間は勿論、浮気は嫌われる行為ですね。花街でも同じです。
花街には「ほうきのかみ」と呼ばれる言葉があります。「あの人は『ほうきのかみ』だから」と噂されれば、その人は祇園では既に死んでいます。
何故なら、一つの花街でお付き合いできるお茶屋は一軒だけ、というルールがあるからです。
そのルールを破って複数のお茶屋と付き合う人を「ほうきのかみ」と言い嫌われます。
花街は信用社会ですから、そのルールを破れば信用失墜で、それなりの扱いを受ける事になります。

このルールは、一つの花街で一つのお茶屋、という事ですから、祇園に一軒、先斗町に一軒という場合は問題ありません。
また、普段、祇園のAというお茶屋を利用していている人が、Bというお茶屋を利用している人と一緒にBのお茶屋へあがるというのもOKです。但し、支払いはBを利用している人がする事が前提となります。
何故、このようなルールがあるのかは定かではありませんが、おそらく、花街の芸・舞妓デリバリー・サービスにその意味があるのだと思われます。
普通、とあるクラブにお目当ての女性がいるとしたら、お客はそのクラブへ行かなければなりません。他に好みの子がいれば、その子の所属するクラブへとハシゴする事になります。
しかし、花街の場合は違います。気に入った妓は、どこの屋形に所属する妓であろうとお茶屋へ呼べば済む話です。つまり、花街ではお茶屋をハシゴする必要が無い訳です。
きっとこのルールは、長い歴史の中で、先人達が培ってきた伝統なのでしょう。

とはいえ、「浮気は○○の甲斐性」などと言われますし、何にしろ皆さんこっそり励んでおられるのではないでしょうか。


 
 祇園のお化けは冬に出る
月三日は節分です。祇園では節分を「お化け」と言い、賑やかな催しがあります。
芸妓が数人でグループになって、お座敷でちょっとしたパフォーマンスを披露するのです。ひらたく言えば学芸会の様なものですね。

祇園では、舞は井上流だけと決められていますが、この日ばかりは違います。他の流派の踊りでもお座敷で踊る事ができるのです。
とはいえ、披露する出し物は、事前に舞のお師匠さんに見せて許可をもらわなければいけないらしく、あまり突拍子も無いものは自粛されている様です。

毎年、幾つかのグループが出没しますが、数年前に「水戸黄門」がありました。
お茶屋から次のお茶屋へ移動する時も、水戸黄門の衣装ですから、四条通を渡る黄門様ご一行を見かけると、つい吹き出してしまいそうです。
途中でご贔屓さんに出会ったりすると「おにいさん、おおきに」と挨拶しますから、やけにペコペコした黄門様は滑稽で見物でしょう。

カセットデッキを片手にお茶屋を回るお化けの一行は、祇園の風物詩の一つです。


 
 納税は国民の義務です
茶屋のお客として辛い時期が、四月の都をどりの前と、十月の温習会の前です。
何が辛いのかといえば、その切符を買わされるからです。
馴染みの妓に会うたびに、「○日、お茶席当番なんどす。来とおくれやす」とせがまれ、「よっしゃよっしゃ、行ったる行ったる」などと好い加減な返事をしていると、お茶屋の女将から切符を渡されてしまいます。
それが、一枚二枚ならまだ何とかなりますが、枚数が多くなると、こなしきれなくなってしまいます。
いっその事、その時期には祇園へ近づかないという手もありますが、切符が突然郵送されてきたりしますから侮れません。

まあ、国民の義務の様なものです。


 
 カメラマンうじゃうじゃ
都は観光都市ですから、祇園にもカメラ片手の観光客が押し寄せます。
しかし、最近、特に多いのが、芸・舞妓を狙ったアマチュア・カメラマンです。始業式や八朔(はっさく)といったイベントになると、祇園はカメラマンで埋め尽くされてしまいます。

誰にも迷惑をかけずにシャッターを押すだけなら何も言いませんが、この輩達のマナーの悪さには閉口してしまいます。
群がって道路は閉鎖してしまうし、芸・舞妓にあれこれ注文する不躾な奴はいるし、たまたま通りかかった通行人にまで「邪魔だ」と文句を言ってきます。
撮られる方の芸・舞妓も、その横暴ぶりにキレてしまう事があるそうです。

まあ、全てのカメラマンが不躾だとは言いませんが、撮られる方はたまったものではありません。
「ほしたら、ちょこっと寿司でも食いに行こか」と連れ出した芸・舞妓と一緒のところをバシバシ撮られたりする訳です。
そして、知らない人のホームページへ知らないうちにその画像が掲載されたりして、全世界へ向けてヘベレケの恥ずかしい姿が発信される訳ですね。

芸・舞妓の肖像権は、かなり煩いのを肝に銘じるべきです。画像をうかつにホームページへ貼り付けたりすると、ある日突然、訴状が届いたり、手痛いしっぺ返しを食らうこともある様です。


 
 あぶら虫
論、ゴキちゃんの事ではありませんが、ゴキちゃんの様なものです。
あぶら虫とは、お茶屋の帳場などに上がり込んで、只酒を呑んでいる輩の事です。勿論、虫はお金を払いません。
あぶら虫レベルは、相手とかなり懇意な関係でないとできません。祇園に関わる上での究極の形といっても過言ではないでしょう。

祇園と関わる方法としては、お客としてが一番簡単な方法である事は書きましたが、その他にも関わる方法がいくつかある様です。
その一つが、あぶら虫の様に、祇園内部の人と個人的なお付き合いをする事です。

最近、よく目にするのが「カメラ虫」です。芸・舞妓の写真を撮っては相手に渡し仲良くなるのです。
勿論、見知らぬ人から芸・舞妓が写真を受け取ってくれるはずがありませんから、芸・舞妓と懇意なカメラ虫仲間や、芸・舞妓が立ち寄る甘味処などの主人と仲良くなって渡してもらう様です。
そのうちに芸・舞妓と顔見知りになり、ちゃっかり仲良くやっている人もいます。
とはいえ、その世界にも、プロやセミプロを頂点とした幾つかの派閥や序列がある様で、派閥間をのらりくらりしたり、先輩を差しおいて目立つ行動をとったりすると、ピシャリと手痛い仕打ちを受け、再起不能に陥る様です。

あぶら虫、カメラ虫にしろ、お客として祇園に接するよりは、かなりの苦労が必要です。
祇園内部の人と個人的なお付き合いをする為には、祇園の知識やルールを熟知しておく必要があるからです。つまり、かなりの高等テクニックが必要とされます。


 
 襟替え
妓が芸妓になるのが「襟替え(えりかえ)」という儀式です。
舞妓の赤色の襟が、芸妓の白色の襟に変わるので、そう呼ばれています。
襟替え時期の明確なルールは無いのですが、二十歳前後でするのが普通です。
その時期を決めるのは、屋形のおかあさん(女将)と、お姉さん芸妓だそうで、おぼこい(幼く見える)妓は、二十歳を過ぎても「なかなか、襟替えさしてもらえへん」とブーブー言っていますし、えずくろしい(大人っぽい)妓は、二十歳前でも襟替えしたりします。

舞妓にとって襟替えは重要な儀式で、襟替え前の一週間ぐらいを、黒紋付の着物と、お歯黒、さっこうと呼ばれる髪形で過ごし、お座敷では「黒髪」という舞を舞います。
さっこう時期の舞妓が横に座ったら、熱いお茶を前に置いて「ワシの祝いや、まあ、お飲み」と言っていじめます。お歯黒は蝋ですから、熱いお茶を飲むと溶けて流れてしまうんですね。

おぼこかった舞妓が襟替えを過ぎると粋な芸妓に変わるから不思議です。
馴染みの舞妓が襟替えだと聞くと、嬉しくもあり寂しくもあり、複雑な心境になってしまいます。


 
 小遣い3万サラリーマン
し下世話なお話をしましょう。
祇園に通うお客には、サラリーマンの何十倍もお金を稼いでいる人が多い様です。
ですから、お金持ちだけが通えるところと思われがちですが、必ずしもそうではありません。
小遣い3万円の家庭持ちサラリーマンでも行く事は可能です。
勿論、毎日の様には通えませんが、ホームバーのカウンターに座って水割りを舐めながら、他のお客が呼んだ舞妓を物珍しげに眺めるだけなら、スナックへ行くよりは高めですが大差はありません。

都をどりと温習会の切符は、家族分だけもらって、みんなで楽しんでしまいましょう。をどりの後は、夫婦連れ添ってお茶屋へお邪魔するのも良いものです。
奥方からしても、普段、亭主が呑んでいる場所を見れると安心するらしいですし、貧乏人は綺麗どころとはお話すらできない事を強調しておくと、くだらない疑惑も無くなるというものです。

心配なのは、逆に奥方の方がお茶屋遊びにハマってしまわないかという事だけです。


 
 粋になりたや素質無し
れは誰にでもあると思います。
「こんな雰囲気いいな」とか、「こんな人になりたいな」といった事を一度は感じた事があるのではないでしょうか。
ちょっと思うだけなら、そうなる努力をしない事が多いのですが、凄く思った場合は、少しぐらいの努力はするものです。
まず、それにふれてみるのが良いですね。どんなものなのか間近に感じてみる事です。そうすれば何かが見えてきます。

その場の雰囲気は、その場にいる人が作っている事が多いのですが、お茶屋のそれもお客が醸し出すオーラの様なものでできている様です。
凄く良いんですよね。観察してみるに皆さん粋です。
同じ事を違う人が話すと、話す人によって感じ方が違った物になりがちですが、たとえ私が一字一句違わず彼等と同じ事を話したとしても、あの場の雰囲気は保てないでしょう。

まあ、私に、粋の素質が無いだけのお話なのですが、それに少しでも近づける様、鋭意努力中です。


 
 祇園恋しや道はある
は昔と違い、人と知り合える機会が大きく広がりました。
こうして、このページを読んでいただけるのも何かの縁ですし、このページ以外にも沢山のサイトが見つかった事と思います。

私の拙い文章では、祇園の良さの少しも表現できないのがもどかしいのですが、これを読んで「祇園へ行ってみようかな?」と感じた奇特な方がおられれば嬉しいかぎりです。
その気持ちが薄れないうちに、ぜひ祇園へ行く努力をしてください。その努力のヒントは、このページの中に書いたつもりです。

祇園への募る思いがあれば、必ず道は開けます。がんばってください。


 
 
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